
夜は短し歩けよ乙女
★★★
2017年/93分 #湯浅政明
主題は乙女発言「こうして出逢ったのも何かのご縁」と先輩発言「たまたま通り掛ったもので」。二つの言葉は対を成し各々の立場を牽引する。見所は先輩と黒髪の乙女が迷宮と現実の間を往来し徘徊する京都という混沌世界。四季に準えて繰り広げられる騒動は和風な雰囲気を醸し出す。原作は森見登美彦の同名小説。1年を1晩として再構成。主題歌はASIAN KUNG-FU GENERATIONが担当。
時間の話。乙女と老人が酒を酌み交わす際に老人達は焦燥さている「年を取る程、時間が進むのが早くなる」。病んでいる彼等を癒したのは乙女の詭弁踊り。無駄と後悔していた過去が伝統として継承されている事実は彼等に勇気を与える。李白の時計針は高速回転、乙女の時計針は低速回転している。彼は時の残酷さを憂いているが、乙女の言葉「人はどんなに孤独でいようとしてもどこかで繋がってしまう」で目が覚める。残酷と思われた時間の経過も人間同士が連携する事で歓びに変わる。
補完の話。先輩には本能、乙女には理性が欠けている。他者と繋がる為には先輩には勇気、乙女には意志が必要、二人が対照的である程、お互いの補完が不可欠となり必然的に惹かれ合う。先輩は風邪に倒れた時、自問自答する「自分は特に秀でた才能も無い、そもそも愛自体が真実なのか」。そして自分が好かれる筈も無いと勝手に結論付け、理性の肥大化は即ち感情の破綻を意味する。
本能の話。乙女は何かのご縁を何度も口にする。縁は人が操作できない不思議な力であり一期一会の巡り合わせ。彼女は好奇心に溢れ積極的に人と関わりを持って他者を受け入れる本能を持つ。痴漢した東堂を容認し、古本市の神に願掛け、偏屈王の主演、全てを許諾。乙女は縁の導きに従い積極的に人と関わる事で今宵の主役に上り詰める。
理性の話。先輩は人との関わりを拒絶し乙女一個人にしか興味はない。彼は脳内会議による分析等、目標達成へ至る過程は緻密で明快、運命を自ら切り開く理性に溢れている。乙女が運命に従って成り行き任せの行動を取るのに対して先輩は力強い。彼の口癖は「断じて私の思い描いている台本ではない」
立場の話。二人は絵本ラタタタムの入手に奔走する。一心不乱となり彷徨する乙女と事務局の情報を元に計算ずくで行動する先輩は対照的だ。本能に従い主役に成り得る乙女に対して、計算高い先輩は主役には成り得ず主役を追い掛け援助する存在でしかない。彼の常套句は「たまたま通りがかったもので」。偶然を装いつつ自らで仕組んでいく姿勢は両者の立位置を明確にする。
勝負の話。乙女は李白と偽電気ブランの飲比べに勝利し東堂の借金を返済してあげる。先輩は火鍋の暑さと辛さに耐え乙女の為に李白からお目当ての絵本を手に入れる。二人は不可能な勝負をこなして勝利を手にする。あり得ない話ももう一つの主題が劇中で説明される「全てはご都合主義」
輪廻の話。ご縁とは関わり合いを通して獲得した結び付きを表す。乙女は風邪が猛威を震う中、これ迄にお世話になった人達を一人一人お見舞いする。その結果として皆からお返しを頂く。与えよされば開かれん。人に与え人から頂く行為は四季を通して繰り返され全員が等しく人生を流転させる。
女神の話。神出鬼没な韋駄天炬燵、ゲリラ演劇の偏屈王。パンツ総番長はこれらを駆使して恋に墜ちた女性を探す。残酷にも彼女の正体は事務局長、しかし恋の女神は鯉の雨で運命の君を紀子に変える。恋は移り気で複雑。
獲得の話。二人は一夜で劇的な変化を見せる。乙女は先輩の風邪を看病する際に先輩の脳内に入り込み彼の心の塔を一心不乱に登って救出へと向かう。その時、彼女は「たまたま通り掛かり」の真意に気付き明確な意志を持ち先輩の元へと飛び出していく。先輩も呼応する様に勇気を振り絞って心の塔から飛び降りる。乙女が意志を、先輩が勇気を獲得した瞬間だ。
一生の話。本作の一夜は一生を比喩する。孤独を回避する事や人と繋がりを持つ事は時間を有意義な物へと昇華させる。乙女は人を繋ぐ存在として大きな価値を持っている。樋口は語る「君といると夜が長くなるようだ」。李白が語る「夜は短し歩けよ乙女」。これはゴンドラの唄「命短し恋せよ乙女」と同義語、一夜も人生も瞬く間に過ぎる。悲観する暇はない。終幕曲は「あっちへフラフラまたユラユラと歩むんだ何処までも何処までも」
4スジ3ヌケ4ドウサ3テイジ3コノミ