レディバード

Lady Bird

★★★★
2017年/94分 #グレタガーウィグ

主題はバードの留守電「愛してる」。進学で親元を離れ母の手紙で想いを知り初めて素直になり自分を見つめ直す。愛情の深さや世話になった重さを噛み締め彼女は巣立ちの時を迎える。

見所は初体験後の会話。男性の初体験は捨てる意識が強い。彼女にとって神聖な行為が彼には違っていた。原作はオリジナル。

主演はクリスティン#シアーシャローナン、マリオン#ローリーメトカーフ、ダニーか#ルーカスヘッジズ、カイルか#ティモシーシャラメ

青春の話。本作は人が子供から大人になる為に潜るべき青春の門が丁寧に描かれる。それは全ての者が避けられない破壊と再生の行為、門を一つ一つ潜る経験こそが成長へと繋がっていく。特に重要なのは破壊から再生する過程、そこで深く思索し理解する事が栄養となる。成長の為には多くの栄養が必要。

破壊の話。バードは初恋、友情、貞操といった青春期に大切なものを全て破壊する。初恋は彼のゲイ発覚で、友情は悪友の誘惑で、貞操は童貞の嘘で、儚くも散ってしまう。全ては思春期特有の満足感を得る為だけの行為だが彼女は意味も解らずに破壊を続けてしまう。しかしこれが彼女の通過儀礼。

再生の話。バードはゲイの彼を許せず怒っているが彼の涙ながらの告白の瞬間、抱き締めて赦しを与える。プロム行きの車内でボイコットの提案を一度は承諾するが最終的には自らの意思で拒絶、親友ジュリーの元に向かう。彼女は喪失の意味を理解し自らの意思で再生を始める。彼女の子供時代が終わりを告げる。

関連の話。レディバードはてんとう虫を意味、それは独語でマリア様の虫と呼ばれキリスト教に深く関係する昆虫。バードはそれとは真逆の悪魔的な行動を重ね周囲を困らせる。また英国の同名民謡は子供達が無事に帰っているかを確認する歌。親が子を思う気持ちや人生が思い通りに行かず葛藤する様子は共通する。

渇望の話。劇中の戯曲ロミオとジュリエットで乳母はジュリエットをてんとう虫の愛称で呼ぶがこれは乳母の愛情表現でジュリエットが性的に未熟である事を意味する。彼女が周囲にレディバードの名称を強要するのは愛情の渇望。終幕は名称を放棄、これは彼女が精神的にも肉体的にも成熟した事を意味する。

打算の話。バードはカイルに近づく為に親友を捨てグループ内の女子に近づき皆が馬鹿にする対象を一緒に攻撃し始める。嘘発覚後も絶縁せず交遊を続けるがそれは気まずさを避ける為。バードの質問「私と友達やめるの」。回答は「別に、カイルの彼女でしょ」。この犠牲と打算はかなり生々しい。

嫌悪の話。バードは故郷サクラメントに嫌悪感すら抱いている。田舎の空気は重く澱んでいると考え都会こそが自分の求める場所と勘違する。しかし彼女自身が感じていないだけて、修道院長からは在学中から見透かされる。故郷は遠きにありて思うもの、その感覚は見事に表現される。

相違の話。ドアという仕切りが母の権威や町の閉塞感を暗喩する。バードは母と同乗する車内からドアを開けて身投げし母が介入する浴室では引出しでドアを妨害、プロムドレスの試着では母が貶せば部屋へ戻り愛してるで部屋から出る。母と同室する時は必ず扉を閉める徹底ぶり。扉を開ける時にノックする父しない母。この違いが彼女が母と解り合えない原因。

教義の話。バードがNYで男性に質問「なぜ親から貰った名前を使うのに神の存在は信じないの」は素朴な反応。彼女は親から貰った名前を拒みカトリック校でも信仰を蔑ろにした為、彼の答えに矛盾を感じる。聖書における両親の敬意は両親からの愛情が前提で愛されない自分は敬いもなく教義も信じられない。彼女は時間、距離、経験を通じて母との相思相愛を実感、基督教義と母を受け入れる。

愛情の話。二人の関係が未修復で終わりを告げる点は特筆に値する。母親は空港で娘に冷たく当たるが後悔して引き返し見送ろうとする。しかしその姿は娘には見えず母も手紙の事を知らない。留守電メッセージの時点でも母はその事を全く知らない。其処には未来を期待する心地良さがある。基督教では愛を受ける者は他人にも愛を与え、愛を受けない者は他人にも愛を注げないと教える。

救済の話。マリオンは母の愛を受けず大人になり子供を持った。その為、娘への向き合い方が解らない。性格も気分の浮沈みが激しく間違いを認めない完璧主義者。娘に対して優位性を保とうとする為、本心では娘を愛するが上手く表現出来ない。何度も書損じた手紙がそれを物語る。マリオンが母から愛を受けていたならバードの様に有難うが素直に言えた。父の愛を経た手紙が母娘の負の連鎖を断ち切る。バード同様、マリオンも救済される。

4スジ5ヌケ4ドウサ5テイジ4コノミ

タイトルとURLをコピーしました