ドゥ・ザ・ライト・シング

Do the right thing

★★★★
製作1989年/120分 #スパイクリー

主演はムーキー#スパイクリー、サル#ダニーアイエロ、ラヒーム#ビルナン、ダー#オジーデイヴィス、マザー#ルビーディー、ダディ#サミュエルLジャクソン、ピノ#ジョンタトゥーロ、ヴィト#リチャードエドソン、バギン#ジャンカルロエスポジート、ティナ#ロージーペレズ

主題はラヒームがLOVE&HATEリングを着けての謳い「右と左はいつも戦っている、左が原因で人はいつも殺しあうが右が人の魂にふれやがてKO勝ちする」

見所はラヒーム両手のLOVEとHATEのリング。#チャールズロートン 「#狩人の夜」で#ロバートミッチャム 演じる伝道師の両手指の刺青を引用した。

原作はオリジナル。監督は「#ブラッククランズマン」のアカデミー脚色賞受賞スピーチでアフリカ系の先祖が辿った苦難を語り「今は愛と憎しみが戦っている時代、そんな中で行われる次の大統領選では正しい選択を、ドゥザライトシングと呼び掛けた。オバマ元大統領が妻ミシェルとの初デート鑑賞映画。

原因の話。本作は社会が差別に震えた時代の緊張感が投影、背景には実際に起きた事件がある。86年ハワードビーチで黒人マイケルグリフィスがイタリアマフィアに車で跳ねられ仲間も惨殺。92年LAで速度違反の黒人ロドニーキングに白人警官が暴行、裁判は警官の無罪判決となり大暴動に発展。#マルコムX 冒頭でも事件映像が使われる。

判断の話。本作は時代を先取りする。ピザ屋の暴動で警官隊出動、ラヒームの首を棍棒で絞め上げ悲劇が生まれる。終幕では劇中使用のマルコムXとキング牧師の写真が映し出される。キングは平和主義、マルコムは自己防衛の暴力は非暴力の思想、判断を観客に委ねられる。終焉は犠牲者名がクレジットされる。

真夏の話。映画では37度の真夏日が舞台、リーはトワイライトゾーンの博士が気温が35度以上になると犯罪が起き易いとの場面から猛暑舞台の映画を一考する。サルはデニーロに依頼も拒否、ダニーがアカデミー助演賞候補の好演を見せ差別主義者ピノはマットディロンに断られ無名のジョンを起用、ティナは大学生ロージーペレズを抜擢、何れも本作を契機に飛躍する。

敬意の話。会社は予算の為、別地域の撮影を提案も監督はNY以外あり得ないと強行、画面にはストリート特有の活気が反映される。市長渾名のダー役オジーは70年代黒人監督の草分で解放活動家、マザー役の妻ルビーも活動家、監督は敬意を払い作品を創る。

音楽の話。パブリックエネミー「#ファイトザパワー」はチャックDとリーの交流に拠り実現。80年代ラップの代表ナンバーとなる過激で挑発的な歌詞はアフリカ系米国人の主張を代弁する。リズムやビートを強調した映画の余韻として強烈な印象を残す。

反意の話。NYを極彩色で覆い下町で生きる人間の日常をリズミカルに描写、洒落や軽妙に機知に富んだ会話を温かさで包む。サルは自分の焼くピザで育つ子に誇りを感じ、ダーはマザーと毎日減らず口、DJは自らをラブダディと呼び音楽で愛を伝える。憎悪の一方で愛情が溢れる。

均衡の話。サル一家は皆と仲良くする事を望んでおり黒人達も同様で何れも抗争等は望んでおらず喧嘩すら回避を願っている。しかし各々の思考は微妙に異なっている。各自が明確に赦しの領域を持ちながら不安定な均衡の下で街の平和が成立する。

感染の話。口論は些細な事から始まる。壁の写真からの因縁で暴動の口火が切られ根も葉もない噂が伝播し感染が広がる。ダディはラジオで「みんな冷静になろうぜ」と問いかけるが事態は悪化、相手の意見に聞く耳を持たず立場の違いが言葉の違いとなり黒人言葉と白人言葉が猥雑に交錯する。

一夜の話。怒りの導線に遂に火が付く。皆がサルの店に集結し民族闘争を繰り広げる。警官の発砲を引き金に暴動開始、街は戦場と化す。暴動から一夜明け廃墟となった店の前で佇むサル。彼は辛抱を重ね人生を積み上げたが其も一夜にして無に帰す。

交差の話。ムーキーは暴動翌日、他人事で給料を要求し焼け焦げた店にやって来る。沈黙が雄弁に変わる。サルは握り締めた紙幣を彼に投げつけ我慢してきた本心をぶちまける。彼は全く意に介さず保険での対応を示唆しその場を歩き去る。各々の思考は何処までも交差しない。

思索の話。終焉は二人の偉大な指導者の言葉で締め括られる。キング立論「暴力は自らを滅ぼし生き残る者の心に憎しみを暴力を振るう者に残虐性を植えつける」。マルコムX弁論「自己防衛のための暴力は暴力ではなく知性と呼ぶべきである」

4スジ4ヌケ4ドウサ5テイジ4コノミ

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