
Jesus Christ Superstar
★★★★ 1973年/106分 #ノーマンジュイソン
主演はイエス#テッドニーリー、ユダ #カールアンダーソン、マグダラのマリア#イヴォンヌエリマン。
主題はピラト発言「この小さき男」。イエスが小柄である事を奇跡や存在を効果的に暗喩する。
見所はピンやスポットの照明で光る神殿の場面。同名主題歌がポップにロックに主の華美なる人生を照らし出す。
原作は作曲アンドリューロイドウェッバー、作詞ティムライスの同名ミュージカル。一般的なミュージカル映画とは一線を画するロックミュージカルのパイオニア的作品。70年代というヒッピームーブメントを背景に歌詞からは反戦映画としての要素が匂い立つ。ロケーションのみでキリストの最後の七日間を映像化した意欲作。
企画の話。本作は69年に二人が書き上げた作品。彼等は当時無名の為、£2万で2枚組オリジナルロンドンコンセプトアルバム「JCS」を製作し発表、当然、数多の批判が寄せられたもののアルバムは大ヒット、ブロードウェイで舞台化されロングランを重ねた。監督はアルバムを聴きブロードウェイのオリジナルキャストを揃え本舞台を観覧せず構想し映画化。舞台同様、教団批判は強く映画館で爆破や放火騒ぎも発生した。
挑戦の話。現在でも不可侵域となる宗教に新たな領域で参加し自由に表現した。衣装は紀元前と70年代のテイストを両方取り入れた味付けを施し、小道具は戦車や機関銃を取り入れベトナム戦争直後の若者文化を反映させた。イスラエルの大自然に人工の足場板が建てられ人々が自由に舞踊を始める。その姿は精悍で強靭、躍動的だ。最後の晩餐は緑園を舞台に静止画で名作絵画を切り抜く翻案を施す。その姿は新鮮で鮮烈、芸術的だ。
環境の話。全編イスラエルロケ、スタジオ撮影は一切なし、実際に聖書登場の場所でも撮影した舞台は遺跡と砂塵の中。役者と歌手、ダンサーが渾然一体となる。気温50度近くとなる環境は命懸け。映画版のキャストはその後もJCSに関係し続け現在でもリバイバル公演やライブコンサートでゲスト出演を果たしている。04年にカールアンダーソンは白血病の為に他界した。
刺激の話。冒頭から衝撃的。時は現代、砂漠にバスが1台停車する、ヒッピースタイルの人物達が次々とツアーバスから降車、これから舞台が催されるかの様に物語は始まる。催し物は2000年前の受難劇、果敢に挑戦する姿勢は感動的で素晴らしい。
挑発の話。主要3名は要注目。イエスとユダとマグダラのマリアは白色、黒色、黄色と敢えて異人種を配置、多様性を与える事でクリスチャンの原理となる差別撤廃を浮き彫りとする。音楽は全編アップテンポなロック&ファンクを使用、全てが挑発的だ。
裏切の話。ユダはアフロヘアーに真紅の衣装を纏いファンキー&ソウルにエネルギッシュな歌唱とダンスを見せる。彼の目的は新たな着手として成立する。人々の熱狂を止める事、主を思えばこそ裏切り行為を率先して行う事。その存在は気高くも切ない。
素朴の話。東洋系のマリアがパワフルに熱唱する。彼女の人物像は質素で素朴、この女性像は芯の強さを決定付ける。また性的な印象を排除した事によりイエスと彼女の関係性は薄まり、改めて彼の神格性が浮き彫りとなる。
巨星の話。イエスは文字通り本作のスーパースター、満を持しての登場は圧巻の一言。意外にもイエスは小柄だが肉体的な存在感が希薄化された事で実像との振り幅が上がる。鬼気迫る高音域シャウトを引っ提げての登場は神の領域さえ感じさせる。これは新たな着手として成立している。
変換の話。ユダヤ祭司カイアファは黒一色の近未来的な出で立ちの大柄で高圧的な男、総督ピラトは小柄で貧相な威厳なき男、ガラリヤの統治者ヘロデは白短パンに小さめのイエローサングラスと派手で軟派な肥満男。その印象は悉く聖書記載の裏をかく配役となるが本作に於いては適役。換骨奪胎に見事成功している。
奇跡の話。本作で奇跡は起きない。病人の治癒も水の葡萄酒変換も死人の再生も水上の歩行も見られない。そして最大の奇跡となる復活も果たさない。対して説教部分は聖書に準じているがこれは意図的な宗教色の排除と予想される。神の理解は彼のみであり彼ですら神を理解できてない。
幕引の話。イエスはバザーの場と化した神殿に激怒し感情的に店を叩き壊す。街にはハンセン病患者が溢れ帰り、奇跡の力で治癒を試みるも数多の患者に困惑し絶望する。ユダはイエスを愛するが故に裏切る。密告をしつつもイエスにキスをしローマ軍に引き渡す。裏切られる設定は次第に心地好さに変換される。受難劇は終われば若者達は何も無かった様に再びバスに乗車し淡々と帰途に着く。儚い白日夢が幕を降ろす。
4スジ3ヌケ5ドウサ4テイジ3コノミ