来る

来る

★★★
2018年/134分 #中島哲也

原作は澤村伊智「ぼぎわんが、来る」。主題は、虐待や放置とディスコミニュケーションから生まれる人間の業。本作で「ぼぎわん」は「アレ」に翻案、アレは思想であり言霊。秀樹の幼馴染みへの嘘、親戚の13回忌の脅し、同僚の披露宴での影口、秀樹のイクメンブログ、元カノの新居祝いで買値暴露、津田の弱味につけこむ誘惑、後輩の妬み、秀樹が身重の妻に吐く本音、真琴の琴子才能への嫉み、津田の魔導封等、悪意が膨満し暴走する。琴子が政府を動かしマンション一帯を封鎖、地域を挙げた大掛かりな祈祷バトルは見所。

構成の話。本作は訪問者、所有者、部外者の視点で構成された「羅生門」方式の物語。視点は秀樹、香奈、野崎の順番で変わり、その都度、印象は覆される。話の進行に連れ人の主観が如何に信憑性がないかを炙り出していく。秀樹を語るに、本人視点では育児に協力的なイクメン、香奈視点では育児に無関心な自己陶酔男、野崎視点では育児を幸福と履違える無能夫。状況は不安定なまま一向に変わらない。

幼虫の話。子供は生の不安と死の興味や魅力から虫を殺める。幼虫はランドセルに群がりアレが憑依すれば嘔吐の中からも現れる。幼虫は親なしには存在出来ない弱い立場で赤子を隠喩する。アレはそれを見極め弱味につけ入る。

痛苦の話。霊媒師逢坂は言う「生きているとという事は痛みを感じる事」。香奈は娘を捨て不倫に走る。彼女は奇しくも嫌悪する母と同じ道を辿る。また彼女は娘の痛みにも鈍感になり虐待と放置を繰り返す。逢坂は続ける「痛みを感じないということは死んでいる事」。野崎は中絶が契機となり離婚、彼が妊娠出来ない真琴を恋人に選ぶのは痛みからの逃避で必然。真琴は子を産めないながらも痛苦と向き合うが、彼はそれを理解出来ない。野崎は二人を取り戻すことを選択し痛苦と向き合う覚悟を見せ再生を果たす。終幕は二人がオムライスの国で歌う知抄の夢。夢は幸せな家族の象徴であるが、知紗がまだ囚われの身である事を暗喩する。唯一の救いは知抄に新たな両親が出来た事。

2スジ4ヌケ4ドウサ4テイジ3コノミ

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